“Global Leader Story“ vol.1 岡部恭英
UEFAチャンピオンズリーグで働く初のアジア人
日本で生まれ育ちながらも、グローバルな仕事環境で活躍するリーダーのストーリーを発信することで、同じような境遇のビジネスパーソンをインスパイアし、彼ら彼女らの活躍・挑戦を後押ししたい、そんな想いで「グローバルリーダー・ストーリー」を始めます。
1回目のグローバルリーダーは、アジア人として初めてUEFA(欧州サッカー連盟)チャンピオンズリーグに携わり、欧州サッカービジネスの最前線にて活躍する岡部恭英氏。大阪府生まれ、千葉県育ち。慶應義塾大学を卒業後、ベトナム、シンガポール、アメリカ、イギリス、スイス(隔離ルールが緩和され次第、香港移住予定)を渡り歩き、海外生活25年以上。JリーグアドバイザーやNewsPicksプロピッカー、札幌国際大学客員教授も務める岡部氏に、前例のない荒波の中で彼が成してきたこと、そしてグローバルな舞台で戦うために、今、やるべきことを語ってもらった。
幼い頃に抱いていたアメリカへの憧憬
それがグローバルで働く牽引力となった
スーツを着たサラリーマンが、満員電車にギュウギュウに詰められて、東京方面に向かっていく。千葉のベットタウンの見慣れた朝は、こんな風に始まった。
物心ついた時から「みんなと同じ」が苦痛で、みんなと違うものを自然と追い求めている性格だった自分は、そんな光景をみて、絶対に日本のサラリーマンにはなりたくない、と思うようになっていた。父もまた、その朝の光景の中にいたサラリーマンの1人だったけれども、海外出張がある仕事だったからか自宅でCNNを見たり、Newsweekを読んだり。その傍らで幼い時から英語に触れ合うことができる家庭だった。土地柄、近所にはアメリカ駐在から帰ってきた同級生が多く、彼らと親交を深めていった。アメリカ土産のカラフルなキャンディーや巨大サイズのスナックを食べながら、まだ見ぬアメリカに憧れを募らせアメリカへの期待と夢は膨らんでいった。
少年時代に突入してもその憧れは薄れるどころか一層強まるばかり。真面目なサラリーマンだった父からは「良い大学に入れ、良い企業に就職しろ」と言われる度に反抗を強めた。「サラリーマンなんかになってたまるか」と思い続け、若気の至りか極論に走り「大学なんか行かない」と口走ることも度々。しかし学生時代を注いだ大好きなサッカーは残念ながら高校で大成せず。いつかアメリカに渡るのであれば、大学時代の4年間を再びサッカーに捧げてからでも良いのではないかと思うようになった。サッカーを中心に考えたゆえの志望校は自ずとサッカーも強い文武両道の大学=慶応を選択。慶応入試に有利でもともと興味のあった英語を中心に組んだ受験勉強が見事に功を奏す。父と同じ慶応義塾大学に入学し、迷わず体育会サッカー部の門を叩いた。
小さな頃から憧れていたアメリカで、
自分の人生から削除した選択肢とは
当時の慶応は帰国子女が多く、日本にあった大学の中ではダイバーシティがあったと思う。ちょうど1つ下の学年から慶応NY校1期生が大学に入学してきて、海外育ちならではの奇想天外な発想をするやつと出会うチャンスが学内で増えた。もともと「みんなと同じ」が苦痛の性格だったから、日本の常識が通じない彼らと話すのは本当に面白く、刺激的だった。
夢は口に出すと良いとはよく言ったもので、「アメリカに行きたい」と誰彼構わず話していたら、サッカー部の1つ下の学年にいた斎藤聡くん(元・FCバルセロナのマーケティング部勤務、現・カンボジアサッカーリーグ最高経営責任者)がアメリカで開催されるW杯観戦を兼ねてデトロイトにある実家に遊びに来ないかと誘ってくれた。斎藤くんの実家で見たのは長い間夢に描いてきた豊かなアメリカンドリーム。度肝を抜かれる素晴らしい経験だったが、余りに良すぎる経験だったので本当のアメリカを見ていないような気がして、その半年後、大学3年の冬にテスト休みを利用して、またアメリカを訪れた。今度は乗合バスグレイハウンドに乗るアメリカ一周旅行。前回の旅行とは真逆のリアルなアメリカがそこにあった。
大学3年の冬といえば、「サラリーマンなんかにならねえよ」と、私と同じように入部当初はいきがっていたサッカー部の仲間たちが一斉に浮き足立ち、にわかに髪や服装を整え、OB訪問に足繁く通うようになっていた頃。部内で就職活動を完全無視でスキップしたのは結局自分だけだった。手のひらを返したような態度の仲間から「就職活動しなくて怖くないの?」と尋ねられ、悩みこそしなかったが、それで良いだろうかと自問することもなくはなかった。
しかし、アメリカ一周貧乏バス旅行中に壮大なグランドキャニオンを見て、すべての不安というかモヤモヤがふっとんだ。「日本のサラリーマン」には絶対にならない。そんなことは、どうでもいいちっぽけなこと。近い将来アメリカに戻ってきて、アメリカンドリームを成し遂げる、そう誓った。
アメリカ上陸はアジア迂回路経由
5年後に勝ち取ったアメリカでの仕事
大学を卒業すると同時にアメリカの大学院に行こうとTOEFLだけは受けたが、アメリカ留学の壁は想像以上に高かった。求められる英語力だけでなく、学費や滞在費という問題も立ちはだかり、結局、アメリカ大学院の受験すらままならず、卒業後はそのまま「プー太郎」に。私をよく知らない人はこの局面を「人生の挫折」と表現するかもしれないが、まったく挫折とは感じなかった。焦りはあったけれど、どうしてもなりたくない日本のサラリーマンになって嫌々仕事をすることこそが挫折だと思っていたから。夢のアメリカに行くには、他にどんな道があるだろうか。発想を転換して人生の迂回路を模索しはじめた。
アメリカに移り住むために、まずはアジア武者修行しようと方向転換。ビジネス経験はなくとも、やる気と語学力のある若者をいきなり海外に送って、OJTで育てるユニークな会社を探し出した。早稲田大学の学生時代に、オイルショックの中東を渡り歩き、日本のエレクトロニクス商品を売り歩いた規格外の日本人であるオーナーに気に入られ専門商社に入社。共産主義国ながら当時市場開放をスタートしたばかりで、ビジネスポテンシャル抜群に見えた中国とベトナム行きを、オーナーに直接アピール。見事、ベトナムのホーチミンに移って会社を作りビジネス開拓する任務を与えられた。一切日本で働くことはなく初の社会人経験は海外となったのだ。しかし、慶應に入るために英語一点集中勉強したベースに加えてTOEFL受験勉強、そして六本木のクラブで手当たり次第に外人に話しかける実践英語の特訓のお陰か、海外に行ってまで日本人村で日本人とだけ集まってやっている大企業の偉そうにしている駐在員のおじさんたちと比べると英語ができたので難しいことはなかった。Wild Eastであるアジアでは、英語ができれば誰にでもチャンスがある。これは今も昔も変わらない。
ベトナムで働きながら、いつかアメリカに移ってアメリカンドリームを成し遂げるというBig Pictureを描き続けることで1年後、シンガポールのIT系商社に転職しステップアップ。当時、半導体関連のアメリカ企業がR&Dセンターやリージョナル本社を構えていたシンガポールでIT系の仕事に従事すれば、シリコンバレーとのビジネスから、アメリカ行きに近づくのではと思ったのだ。そして2001年、思い通りシリコンバレー支社に転勤となり、小さい時から憧れ続けたアメリカに移り住むチャンスを得た。
念願のアメリカで改めて考えた
自分にとって働くことの意味と自分の好きなこと
ところが、実際にアメリカで働き始めたものの、充実感は期待ほどではなかった。自分が長らく思い描いていたアメリカとは、何かが違う。なぜか? 1つ目の理由は、ベトナムやシンガポールで働き世界中を仕事や旅で周ってきた自分の国際経験値が上がっていたこと。コスモポリタンで多種多様な文化・環境に慣れてしまった自分にとって、911後にアメリカ至上主義が強まったアメリカにダイバーシティを感じなかったのだ。そして2つ目の理由は、アメリカでやる「好きなこと」が見つけられなかったから。幼い頃からアメリカに住むということが目標となっていて、「アメリカでなにをする」という大事な部分が欠けていたのだと思う。
人生で何を成し遂げたいのか、悩み始めた2002年、W杯日韓共催が訪れた。外国人の友人をたくさん連れて日本で観戦。3つの点で感動して、私の人生の大きな転換点となった。世界中から訪れる熱烈なサッカーファンやインフラ投資に支えられた経済効果。英語も話せない日本人がサッカーを媒介に片言英語で外国人と楽しそうに日本各地で交わり国際交流が促進。さらに、バブル崩壊後に元気のなかった日本が、W杯が日本に来ただけで、いっぺんに活気づいた。自分の大好きなサッカーが日本を大きく動かして貢献している。学生生活を捧げてきたサッカーがいかに偉大なスポーツであるかを改めて見直す機会となった。
アメリカではプロスポーツが身近な存在だったので、日本のアマチュアリズムとは違った次元でスポーツがビジネスとして成功するのは見てきた。アメリカでは「ドリームジョブ」と称されるスポーツビジネスに自分が携われたら、どんなに人生が豊かになるだろうか。自分の好きなサッカーを仕事としたい、「W杯を再び日本に持ってきて、日本を優勝に導く」、これこそが自分が生きている間に成し遂げたい目標であり、そのために、今、行動を取らねばならないことを確信した。
そんな思いが最高潮に達していた時、またタイミングよく、斎藤聡くんが日本の商社を辞めてアメリカにいる自分のもとを訪ねてきた。そこで彼はMBAの素晴らしさを滔々と力説して、親切にもMBA受験の勉強に必要なテキストまで置いて帰っていった。そのテキストをパラパラとめくる時に、サッカーとMBAというキーワードがバチっと繋がった。本場ヨーロッパのサッカークラブやサッカーチームで仕事をし、その貴重な経験とネットワークを日本に持ち帰って、日本サッカーに貢献する。そうすれば人生の目標が達成できるではないか。そこに達するまでに今、何をすべきか----目標から逆算した。ヨーロッパの誰もが知る名門大学でMBAに挑戦しよう。
グランドキャニオンから2度目の人生の大転換点がそこにあった。アメリカで勤めていた会社は辞め、収入源もないままにケンブリッジでの大学院生活が始まった。MBA取得中には、世界でも大人気の英国プレミアリーグ所属クラブであるエバートンFCでインターンを経験。MBAを取得後はサッカー世界最高峰のUEFAチャンピオンズリーグ放映権やスポンサーシップビジネスに携わり、もうすぐ16年。終身雇用でもなく、アジア人として初めてUEFAチャンピオンズリーグに携わり当然ながら日本人など一人もいない厳しい世界に身を置いているが、これほど楽しい人生を送っている人は他にいないのではないか、と自信を持って言えるほど、充実感は120%だ。
前例のない道をすすむ恐怖心はない
自分の好きなこと・やりたいことを追い求めてきただけから
日本からアジア、そしてアメリカ、イギリス、ヨーロッパと渡り歩いてきた自分の半生を語ると、前例のないことをグローバルな舞台で成し遂げるというのは怖くないか? とよく聞かれる。しかし、怖いと思ったことはない。なぜならば、人生の道を決める時の価値判断が「好きか嫌いか」だから。単純に好きを突き詰めているだけなので、当然、怖いという感情は無縁だ。「好きな人と、好きな場所で、好きな仕事をする」のは幸せな人生の源だと断言できる。
これまでの道から外れ、何か新しい挑戦する時に「怖い」と感じる人に、問いたいのは何に対して「怖い」という感情を持っているのかということ。怖いという感情が「社会が作り上げた理想から外れること」に対しての恐怖感だとするならば、社会が作り上げた理想って何だろう? と疑問をもって欲しい。そうすると盲目的に信じている「理想」は、狭い島国・日本の社会が作り上げた画一的で単一的で一過性なものであって、そこにこだわることは余り意味がないと感じるはず。日本経済が上向いていて、世界の最強レベルであるならまだしも、人口減少と少子高齢化で未曽有のチャレンジに瀕する日本の先行き見通しは厳しい。その日本だけの常識や通念に囚われていたら、日本経済とともに自分の人生も撃沈することになるのでないだろうか? もっと視野を広くして、グローバルな視点で好きな仕事を見つけて欲しいと思う。もっと言うと、狭い日本社会が理想とする大人像は無視して、「好きなこと・やりたいこと」を、徹底的に追及して欲しい。
人生の舞台をグローバルにシフトするために
今日からできる3つのこと
とはいっても、今、安定感のある日本の企業に勤めていて、守るべき家庭があるのであれば、グローバルな舞台で「好き」を突き詰めろと言われたところで、どこから何をすればいいのかわからないかもしれない。今更、直感的に生きるのはそうそう簡単ではないことも理解ができる。そこで、自分の経験から意識的にやるだけで変わる3つのことを最後に紹介したい。
1:英語を武器にする
最初のキャリアをベトナムで見つけることができて、海外に行ってまで日本人村で日本人だけで交わっているのが殆どの日本人駐在員とは一線を画して現地社会に入り込み、ローカル人脈を開拓して仕事ができたのは、ひとえに英語力のお陰。英語力の裏付けがあったからこそ、グローバルで働くハードルは、普通の日本人と比べて格段に低かった。自分の英語学習は完全に独学だが、おすすめするのは自分の好きな有名人の演説を聞いて、それを口に出して真似るというシャドウイング。日本で働いていても、英語ができると一般より給料の高い仕事につくことが可能になる。たかが英語で、本当は英語力以上に大事なものがあるのだが、こと日本に関して言うと、名門大学を出ても殆どの人間が英語のできない、先進国でも稀な国ゆえ、英語ができるだけで収入があがる。今日から是非、英語のブラッシュアップをして欲しい。
2:積極的に環境を変える
ビジネスの賢人が説く人生を変える方法として有名なのは、「付き合う人を変える、時間の使い方を変える、読む本を変える、お金の使い道を変える」……といくつかある中で、一発ですべてを抜本的に覆すのは「環境を変える」こと。海外に移ると人生が変わるのは間違いないが、全ての人に日本の会社を辞めて、海外に移ることを勧めているのではない。まず自分の身近な環境から少しづつ変えていくだけでも効果がある。例えば、子供の所属しているサッカーチームの応援団に入る、社内で部署を変える、新しいサークルに入る、引っ越しをする、海外旅行に行ってみるなどでも十分。
同じ国の、同じところで、同じような考え方をする、同じような人に囲まれて、同じようなことを何十年もしていると成長は鈍化する。これは私独自の経験からくる話ではなく、脳科学的にも実証されている。脳は新しいことに出会うと、シナプスが他の神経細胞とつながり、新しい回路を作る。脳を使えば使うほど神経細胞同士がつながっていき、脳のネットワークがより高度になる。すると情報の伝達が早くなり、記憶力も高まり、脳の働きがよくなるのだ。自分と違うものの考え方や知らないことを知っている人と触れ合うことでこそ知的刺激が生まれるのだから、自ら積極的に環境を変えて、「物の見方、考え方、信じ方」に刺激を与えると良い。そうすれば、世界80億人に対してたった1億しかいない日本の常識や通念が、世界に存在する唯一解という誤解や囚われから抜け出せて、グローバルな舞台への最初の一歩を踏み出せるかもしれない。
3: 好きをとことん極める
「好きを極めろとはいっても、実際には簡単じゃない」という意見もよく寄せられる。しかし、これまで自分にドライブをかけ続けることができたのは「好き」という感情に他ならない。誰にも負けない仕事をする時には、圧倒的なパワー、スピード感、スキルが必要になるのだが、これは心から好きという仕事でないと続かない。
あなたにとって好きなことってなんだろう? と改めて自分に問いかけることを勧める。まとまった時間をとって好きなことを書き出すのも良い方法。それが今の会社でしか成し遂げられない仕事だったら、今の会社で働いている意味があるし、もっと深めることができるのではないだろうか?
日本の場合、小さな島国・日本しか知らないで生きているからか、社会の中にある学校や会社への所属意識が強く、所属したところに人生を託している人が多いと感じる。有名大学を卒業し、大企業に人生を託すのは楽かもしれないが、本当にそれで良いのだろうか?
人生に責任を持つのは自分しかいない。「好きなところで、好きなこと・やりたいことを、好きな人とやる」。それ以上の幸せがあるだろうか?本来、人間、好きなことでしかドライブはかからないはず。今そこに気がついた人から、この3つに取り組んで欲しいと願う。
You only live once. Live your dreams!!!
【文】黒田順子
Aun Communication のコメント:
岡部氏からの助言「好きをとことん極める」ためには、当然のことながら自分自身を深く知る必要がある。そして、グローバルな環境でリーダーシップを発揮するためには、自分がどのような価値を提供できるのか、周囲への貢献を考えることも重要だろう。
また、英語力は一日にして成るものではなく、どれだけ頑張っても英語ネイティブレベルになるのは難しい。英語を継続的に磨く必要はあるが、不完全な英語力でも臆せずコミュニケーションをとろうとするメンタリティが何より大事だと思う。
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