“Global Leader Story“ vol.12 河崎一生

Japan Private Clinic院長、CareReach, Inc. Founder & CEO

 日本で生まれ育ちながらも、グローバルな仕事環境で大活躍するリーダーの軌跡とマインドを発信するグローバルリーダー・ストーリー。

 12回目のグローバルリーダーは、CareReach, Inc. Founder & CEO であり、Japan Private Clinic院長の河﨑一生氏。2006年、熊本大学医学部を卒業後に医療途上国での活動を目指して救急科を専攻。2015年に米国 Dartmouth 大学 Tuck 経営学大学院 (MBA)、米国 Dartmouth 大学 Geisel 公衆衛生学大学院 (MPH)を卒業。2016年、医療過疎地域の医療開発を目指したCareReach, Inc.を創業。2022年1月、試行錯誤を重ねながら海外の患者ニーズや医療課題を把握するためJapan Private Clinicを開院。日本内科学会内科認定医、日本救急医学会救急科専門医。

途上国の医療開発を目指してまだ失敗の途上であると言う河﨑氏に、失敗から学ぶこと、そして今見えるゴールについて語ってもらった。

 医師を目指すきっかけは、小学1年生の時に交通事故に遭って入院したことだった。真夜中にもかかわらず、病棟で急変した患者のところに駆けつけて診療に携わる医師の姿を見て純粋にカッコいいと思った。中高生になってもその憧れは膨らみ続け、大学は自ずと医学部を目指す。医学部に入学した後は、2年間の浪人生活の我慢の反動もあってか、自分自身に力が有り余っているような気がし、長期休暇を使っては途上国を転々と旅するようになる。「もっと出来ることがあるに違いない」という前のめりな気持ちが強まっていたのだろう。旅の合間に病院見学をし、途上国の医療に触れながら、自分が死んだ後も持続可能な「途上国の医療開発」の仕組み作りに携わりたいと漠然と思うようになっていた。

 

ソーシャル・アントレプレナーシップへの関心から、
アメリカのMBA&MPHダブルスクールを目指す20代

 研修医終了後は救急科に進む。医学生時代から、いつかは途上国でどんな患者さんにも対応できる医師になりたいと思い、頭から足までできるだけ身体のすべてを診られるようになることが救急科を選択した理由だった。救急診療の合間に読んだ『アーネスト・ダルコー エイズ救済のビジネスモデル』という本に大きな影響を受ける。この本は、米国ハーバード大学と英国オックスフォード大学で医療と公衆衛生学および経営学を学んだ医師アーネスト・ダルコー氏が、南アフリカなどでエイズの問題を解決するため持続可能なビジネスを構築した実録。医師が新たな仕組みを作って世の中を変えていく様子を読んで、医師にはこんな生き方もあるんだなと強く共感した。

 同じ頃、マイクロ・ファイナンスでノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏の講演会に参加したり、アフガニスタンで活躍した故中村哲医師の事務所を訪問したりする中で、ソーシャル・アントレプレナーシップへの想いが募っていった。そんな中、アメリカのMBA留学から帰国したばかりの高校の同級生から、アメリカのMBAにはソーシャル・アントレプレナーを目指している人が世界中から集まっていると聞く。世の中の難題に持続可能な解決策をもたらすべく挑戦したいと考えている仲間と出会って共に学びたいという気持ちが高まり、アメリカのMBA留学を目指した。

 留学先は、開発途上国に実際に出向いて現地プロジェクトをサポートするプログラムがあるDartmouth(ダートマス) 大学。経営学と公衆衛生学のダブルスクールを目指す欲張った留学になったが、英語力が足りず最初から最後まで苦労した。予習と復習に人の3倍くらいの時間がかかる。朝4時に寝て2時間後には起きるというような日も多くあり、体重は5kg増えて血圧が上がり、不整脈にもなった。大学院にはコンサル、金融機関、政府機関、IT企業など出身の優秀な人達が世界中から集まっており、彼らと共に、南米ペルーの医療過疎地域の開発、インドのマイクロファイナンスベンチャー支援プロジェクト、ボストンでの糖尿病改善プロジェクトでのピッチなどに参加して、卒業後の起業に向けて準備を進めた。

大学院を卒業後、起業
繰り返す失敗を通して、自分の強みを少しずつ自覚

 大学院卒業後、早速、留学中に出会った信頼できる人物と一緒にCareReach(ケアリーチ)を創業。どんな障壁があっても適切なCareに必ずReachさせたいと考えて命名した。医療過疎地域の医療開発を持続可能な事業として行う仕組みを作りたいという思いが根底にあった。しかし、いろいろと挑戦しながらも、持続可能なものは作ることができていない。その理由は、患者の希望を把握することなく思い込みで仕組みを作ろうとしてしまったこと、大企業などとの連携を目指す方法論ばかりに目が向いてしまったこと、そして何よりビジネス経験に乏しい単なる医師が解像度の低い夢物語を描いてしまっていたことなどが挙げられる。

 だが失敗を重ねる中でも良いことが3つあった。

 ひとつ目は人との出会い。特に、無知の知を知らしめてくれる方々には頭が上がらない。医師として働いてきてビジネス経験に乏しい自分は、世間一般でいう非常識の部類に入るほど知らないことが多く、日々の出会いでの学びに感謝している。そのうちの一人は、君の失敗や悩みは、優秀な先人が既に悩み考えたことであって、解決のヒントは文字に記されていると言って、森信三著の『修身教授録』を薦めてくれた。その後、安岡正篤、ハイデガー、ラッセルと読み進めて行く。目の前の人との出会いは、名著を残した過去の人との出会いにもつながっているが、歴史上の人物の名著は時に難解だ。過去の偉人の言葉をもしあえて主体的に解釈するのであれば、他人の優先順位や価値観に惑わされずに「2年後に自分が死ぬと分かった時に、それでも短い貴重な時間を費やして行いたいと思えること」に自分の時間を使って生きていきたいと思うようになった。その他にも人との出会いに関して言えば、医療開発を必要とする途上国で活躍する仲間が増えたことも大きな財産だと感じている。医療ボランティアや現地視察の中で出会った情熱あふれる人たちから、たくさんの刺激や勇気をもらっている。この仲間との繋がりが現在の事業の糧になっていることは間違いないと前向きに考えているところだ。

 二つ目は医師としての守備範囲が広くなったこと。起業してからも非常勤医師として働いてきた。この中で、救急医の枠を超えた診療に携わることができていることは、自分のキャリアにとって大きな意味がある。救急医療に加え、生活習慣病の管理、がんの早期発見、健診画像の評価など、診療できる領域は幅広くなり、同時にご指導くださる先生方とのご縁も広がってとても感謝している。またその過程で、患者さんが医師を頼る上での限界についての気付きがあり、それを途上国医療開発に生かしたいと考えて、今、それらを文字におこして、課題やニーズを整理している。

 三つ目は、失敗して苦しくなったとしても、それでも続けたいことこそが自分の本当にしたいことなのだ、と自覚するようになっていること。もし今回のインタビューを読んで下さる方々に貢献できることがあるのであれば、やりたいことに挑戦することが大事だと伝えたい。ほとんどの場合は失敗するのかもしれないが、その中で人との出会いと自身のスキルアップが積み重なり、自分がやりたいことの解像度が上がっていくかもしれない。当初は想像だにしなかった道を切り開くことになるかもしれないことを、まだ道半ばの立場ではあるが共有できればと思う。

患者ニーズの正確な確認を第一目標にクリニックを開設
真摯に患者ニーズに向き合って解決策を蓄積したい

 これまでの失敗を経て、2022年1月、Japan Private Clinicを創設した。福岡市に小さなクリニックを開き、日本人や外国人を問わず海外在住の方々からの医療相談を受けている。患者さんと丁寧に話し合い、適切な医療にたどり着く過程にどのような課題があるかを、実診療を行いながらリサーチして解決策を探す。今はここに力を注いでいる段階だ。例えば、日本で結核の治療をするとなると4種類の薬が併用されるが、モンゴルでは1種類しか存在しない。現地医師や現地医療機関との協業も必要だし、現地の法的な課題も克服しなければならない。あらゆるリクエストに応える心づもりを持ちながらも、途上国で放置されがちな生活習慣病の管理とがんの早期発見をメインにまずはモンゴル、ベトナム、中国といったアジア諸国での医療開発に取り組もうとしている。仲間も15人ほど集まった。一定の症例数を経験して患者ニーズを確認した上で、いよいよシステム構築に向けて大きく舵をきるつもりだ。

 医者になった人間は、頭の片隅に「海外で困っている患者さんにもできれば貢献したい」という思いを持っていることが少なくない。でも実際は時間的にも言語的にも金銭的にも、海外の僻地で医療に携わることは容易ではない。だからこそ自分が、途上国医療開発に簡単にアクセスできるようなプラットフォームを作ることができたら、多くの医師が心の片隅に密かに持っている思いにも応えられるのではないかと思っている。

 正直なところ、まだ納得できる結果も出せていないし、自分が今回のテーマとなっている「グローバル・リーダー」として機能しているかと聞かれると、まだ完全に未熟であると言わざるをえない。現在は「医療が届きにくい途上国に、日本式医療を届ける」ということをようやく実行できている段階。引き続き現地に住む患者さんが外国人であろうが日本人であろうがしっかりと話を聞いて、少しでも安心して頂ける診療を行いながら現地課題の把握に努めていきたい。そして必要とあれば、現地の医療機関とも協力し合い、今後も力を合わせてくれる仲間を国内外で増やしたいと思っている。患者さんには急性疾患から慢性疾患、生活習慣病からがんまで、どんな小さなことでも相談して欲しい。

 今、もしも「ある病気であなたは2年後に死にますよ」と言われたとしても、自分はこの仕事を粛々と続けるだろう。この仕事こそが、短い貴重な時間を費やすに値するものだと信じているからだ。まだうまくいかないことも多いが、近いうちに必ず形にしたい。

【文】黒田順子

Aun Communication のコメント:

 海外生活や海外業務では、自分の思い通りにいかないことや、想定外な事態が多発するので、精神的負荷がかかりやすい。そのような環境下で成果を出し続けるためには、精神的回復力の高さが求められる。河崎氏のストーリーからは並々ならぬレジリエンスの高さを感じる。そして、どんな困難や苦難があっても前に進めるのは、「医療過疎地域の医療開発を持続可能な事業として行う仕組みを作る」という天職を見つけたからであろう。今後の河崎先生のグローバルな活躍が楽しみでならない。

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