“Global Leader Story“ vol.13 上澤貴生

DMM英会話創業者、元CEO

 日本で生まれ育ちながらも、グローバルな仕事環境で大活躍するリーダーの軌跡とマインドを発信するグローバルリーダー・ストーリー。

 13回目のグローバルリーダーは、DMM英会話創業者、元CEOの上澤貴生氏。1978年、大阪府生まれ。同志社大学卒業と同時にシンガポールで起業。台湾でも事業を起こした後、2012年に単身でフィリピンへ移住し2013年にDMM英会話を創業。7年で世界128ヶ国に稼働講師1万人、有料会員7万人以上という世界最大級の英語学習プラットフォームに育てる。世界中を日々移動し毎年地球を4周以上する生活を8年過ごした後、2021年にCEOを退任しシニアアドバイザーに就任。日本最大規模のサブスクリプション事業をゼロからつくりあげた経験を生かし、サブスクリプションテクノロジーズ及びシンガポールを拠点にUnited Ownership Pte. Ltd. を創業

 大学卒業後、ユニークな職業経験を経て、DMM英会話を立ち上げた上澤氏。英会話講師の出身国は世界100カ国を超えるというインターナショナルな環境で8年にわたり組織をリードし、事業を成功に導いたストーリーを伺った。

 

金融機関からの内定を蹴ってシンガポールで起業
台湾では水産業に携わる異色のキャリア

 軟式野球部に所属し、野球三昧の大学生活を送っていた。気がつけば3年生も後半、就職活動が始まる頃になっていたが、体育会出身者ということで何も恐れるものはなかった。当時は「リクルーター制度」というものがあり、即戦力になる営業要員を所望する銀行や損保が、体育会部員を積極的に採用。そういった企業で働いている先輩と面談をすると、一発で内定が出る。多分に漏れず、自分も大手銀行から内定をもらい、難なく就職先を確保することができた。ところが、内定を持っていても落ち着かない。実家が商売をやっていたことも大きく影響していると思うのだが、サラリーマンとして社会人の一歩を踏み出したとしても、いずれは独立して何らかの事業に携わりたいと思っていたし、自分にサラリーマンは向いていないんじゃないかという「そもそも論」にぶち当たる。そんな時、親戚が暮らすシンガポールで携わったアルバイトがきっかけで、そこで起業するチャンスに巡り合う。シンガポールでは海外進出する日本法人の支援やサプリメントの販売、営業代行など様々な事業を経験した。大学卒業後、いきなりシンガポールで起業、と言うと何か大きな志があるように感じるかもしれないが、何も深く考えていなかったのが実情。日本で銀行員になるよりシンガポールで働いたほうが楽しそうだな、そんな軽い気持ちからのスタートだ。だから自分でも特別なことを成し遂げたような意識もなく、今でも個人事業に毛が生えたようなものだったと認識している

 その次は台湾をベースに水産物の貿易事業に携わる。台湾にある遠洋漁業の会社が日本企業のパートナーを探しており、知人である日本企業の経営者を紹介をしたところ意気投合し合弁会社を作ることに。そこで経営者として自分に白羽の矢が立った。親日で知られる台湾で求められる新規事業には、日本らしさが加わったビジネスが求められる。日本、台湾やアジアの国々を舞台に水産事業を拡大した。

亀山氏に新規事業を提案
DMM英会話の誕生秘話

 2012年、知人の紹介でDMM.com創業者の亀山氏(現・DMM.com会長兼CEO)に会った。当時、亀山氏に直結した部署でプロジェクトを遂行するカメチョクという仕組みがあり、6ヶ月間、報酬を払うからそこで新しい事業を提案してほしいと頼まれた。自分は普段海外に居ると伝えると、オフィスにも一切来なくても良いとも言われた。

 亀山氏は一切メディアに出ない方で、会う前はどのような方だかまったくわからなかったけど、実際に会ってみると面白く、断る理由もないので引き受けた。そんなノリからすべては始まった。

 与えられた半年間、いくつかの新規事業を提案した中に、オンライン英会話ビジネスがあった。その時にはすでにオンライン英会話は日本だけで100社ほど。実際にいくつかの会社のサービスを受けたが、どれも質の高いサービスを適正な価格で提供して、良いビジネスであるという実感があった。ところが便利で需要もあるはずなのに、友達に聞いてもオンライン英会話を知っていたのは10人中2人だけ。なぜサービスが広まらないのか不思議に思い、調べてみたらどこの競合にも適切な投資がされていないことがわかった。マーケットリーダーの企業でも調達した資金額は5000万円程度。そこに勝ち筋が見えた。

 サブスクリプションビジネスは、単発売りの商品と違い、先行して新規顧客獲得に資金を投じることで将来の利益を最大化するビジネスだ。お客様が1ヶ月レッスンを続けただけでは利益が出せない。半年以上レッスンを続けてくれて初めて利益が出せる仕組みだ。サービス内容に大差がなければ先行投資したほうが勝つ。競合をざっと見てもこれまでに大きな投資を受けた企業はどこもない。先行投資をしたらマーケットが取れるのは明らかだった。

 またソフトバンクやサイバーエージェントのような大手の新規参入企業も多くないだろうと予測を立てた。ニッチだし、フィリピンで教師を探すような地味な仕事は大企業が安易に手をつけられるビジネスではない。だが、これまで世界を駆け回って鍛えた自分の力は最大限に生かせるだろう。このビジネスは「いける」と亀山氏に提案。亀山氏もすぐに投資を決めてくれた。

後発で無名のDMM英会話に
良い教師を集め、会員数を増やす苦労

 かなり大きな額がこの事業に投資されたが、これらはマーケティングやCMばかりに使ったのではなく、サービス向上と売値という商品そのものに集中的に投下した。今振り返ればかなり戦略的にお金を使ったと言うことができると思う。

 当初DMM英会話は不利な条件を多く抱えていた。後発だし、サービス内容も既存のものから特に大きく変わったところもない。そして当時はまだDMMはアダルトサービスというイメージが定着していた。2013年の2月からサービスを開始したものの、1年目は大苦戦。撤退を考えるギリギリのところまで追い詰められた。その苦戦の原因はフィリピンで良い教師を集められなかったこと。DMM英会話はオンライン英会話事業では全く無名で、信用ができないと思われていたのが原因だ。

 ではどうやって知名度を上げて、信用を高めることができるのか。またどうしたら「DMMを選ぼう」と思ってもらえるのかを考えた。そこで出した案は、教師には他社の2倍のお給料を払い、生徒には原価ギリギリの価格で授業を提供する、というもの。給料が2倍になるなら一緒に働きたいという教師が増えてきて、徐々に良い口コミも広がりサービスが向上してきた。また教師の信用が高まるにあたって会員数も順調に増えていった。

 教師と会員の数が安定してきたところで、新規教師の給料と授業の単価を相場相応に戻した。こうすることで2年目からは会員が順調に増え始め、会員の数は4年目で業界トップに躍り出た。

さらなる質の向上を目指してヨーロッパへ
セルビア人教師がターニングポイントに。

 教師はフィリピンからだけでなく、世界中から集めているのがDMM英会話の魅力である。

 フィリピン人だけでなく、欧米人の教師もいたほうがいい、と提案は前々からあったが、アメリカ人やイギリス人はフィリピン人の2倍の給料を支払ったとしても雇うことはできない。そんな時、ロシアの企業と仕事をしていた時に出会ったリトアニア人のことが思い浮かんだ。彼はロシア人に比べ、抜群に英語が流暢だったから、もしかしたらリトアニアに行けば英語の先生が見つかるかもしれない。そんな思いつきからリトアニアで採用活動を開始。大学のアジア文化やアニメ研究会でビラを配り、5人、10人と先生を採用した。そういう草の根活動の中で、偶然が生まれた。

 リトアニアの求人募集にセルビア人の教師が集まり始めたのだ。ボスニア紛争で大きなダメージを受けたセルビアは欧州の中でも貧しい国。フィリピン人と同じ給料水準でも十分に働き手が見つかる。セルビア人教師は質が良く、勤勉で、会員からの評価も高かった。1000人の教師のうち、人気上位はセルビア人で占められるほど。このような地道な教師採用活動が功を奏し、今では100カ国から教師が集まり、その約半分がヨーロッパ出身者になっている。ボスニアやルーマニアなど戦争や内戦、貧困を経験した国々から、口コミで優秀な教師が集まっているのを見ると、DMM英会話はセルビアで優秀な教師を獲得に成功し、競合他社を引き離して一人勝ちできたのだと感じる。セルビアで成功の活路を見い出したのだ。

ダイバーシティのあるチームを率いる中で
楽しく仕事をするための心持ちとは?

 DMM英会話の本社はマニラ。そこからサービスを日本、韓国、台湾、タイ、ロシア、イタリアなどに拡大していった。各国でエリアマネージャーを雇い、ウェブサイトをローカライズ。世界中に社員がいるダイバーシティのあるチームになった。そのマネージメントはおもしろかったし、純粋に楽しかった。

 国籍の違いからくる苦労を乗り越え、多国籍のチームでどうやって仕事をするのか。その秘訣は「心持ち」にあると思う。シンプルに言うと、100人いたら100人が違う考えを持っていていいじゃない、と思える「心の広さ」のこと。例えば、皆でゴールを設定する。そこまでのアプローチには、皆それぞれのやり方がある。みなが同じアプローチをとるとは思わないこと。分かり合えるだなんて思ってはいけない、むしろ諦めることを前提としてチームで仕事をする。こんな心持ちが前提にあれば、チームはうまく動くだろう。ダイバーシティのあるチームを持った時、自分は「丸投げ型」を好む。その国のことを知っている人に任せることで良い結果が出ていればそれでいいし、最悪結果が出ないのであれば、スタートアップなのだから人を変えれば良いことだ。こんな思いでチームを率い、最初は日本人10人、フィリピン人20人、計30人で始めた事業も、自分が辞める時には総数300人程度まで規模が膨らむ。世界中にある拠点を渡り歩き、教師を採用し、地元の広告会社などと打ち合わせをする。とても充実していた8年間だった。

次なる目標を目指して、社長を辞す
組織を愛しているからこそ、若い人に活躍してほしい

コロナ禍でオンライン英会話ビジネスは大きなチャンスを得て、発展をし続けていた。しかし、その最中に社長を辞する決意をする。その理由は2つあった。

 ひとつ目は新しいことをやりたかったから。同じことを長く続けていられないADHD(注意欠如・多動症)気質な性格で、組織が固まってくると退屈になってしまう。コロナになった時に環境を変えるのなら今しかない、と確信した。世の中が混乱する時はビジネスチャンスだ。

 ふたつ目はよりよい組織になるため、若い人が活躍できる会社であって欲しいと願っているから。若い人がもっと活躍できるためには、自分のような上の人間が抜けないと若い人に陽の光が当たらない。DMM英会話はある程度仕組みで回っている会社なので、20代30代の若手社員が中心となってビジネスを回すことができる。自分が一から作り上げたこの組織を愛しているからこそ、年齢が近い他のダイレクターやマネージャーに辞めろという前に自分が辞めて、後進に道を譲ろうと思った。

 コロナウイルスの感染拡大もひと段落し、世の中はほっと一息ついているところだが、今、自分はこの変革の時に乗り遅れまいと新しい事業をいくつか仕込んでいる。例えば、アメリカでは「プロップテック」と呼ばれている不動産と金融ITを組み合わせたような事業だ。日本では前例がない事業ではあるが、ここしばらくはこれらの新規事業を社会実験的にやりながら、ビジネス拡大を目標にしている。

【文】黒田順子


Aun Communication のコメント:

 多国籍チームを率いる際、”100人いたら100人が違う考えを持っていていいじゃない、と思える「心の広さ」”を持つことの重要性は理解できても、実践するのはなかなか難しい。上澤氏がそれを実践できたのは、元来の性格に加え、歩んできたユニークなキャリア、接点を持った人たちによって、”違い”に対する受容性、寛容性が育まれたためだと思う。

 人と違うことをしてみる、自分と異なる価値観の人とコミュニケーションをとってみる等、「違い」と接する機会をつくり出すことは、多様性のある組織を率いる際に必ず活きてくるだろう。

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