“Visionary's Global Journey“ 後藤俊輔
ナシエルホールディングス代表取締役
Aun Communication が支援したビジョナリーなリーダーの「キャリアとマインド」「ビジョン」「グローバルな挑戦」「お客様の声」を発信するビジョナリーズ・グローバルジャーニー。
今回ご紹介するビジョナリーリーダーは、ナシエルホールディングス代表取締役の後藤俊輔氏。1999年、慶應義塾大学入学。ペンシルベニア州立大学卒業後、大和証券SMBC(現:大和証券)に入社。モルガン・スタンレー証券株式会社、株式会社ラザード フレールを経て、2009年にナシエルホールディングスの前身である株式会社M&A Propertiesを設立。2019年に持株会社体制に移行。店舗事業者の出店準備から運営、退店までを総合的に支援。数多くの飲食企業・小売企業のM&Aを取り扱う。
起業までのキャリアとビジョン
商社に勤めていた父は、海外赴任を希望したものの残念ながらその願いが叶わなかった。英語が話せれば、国内畑ではなかったのではないか、と彼が悔しそうに話していたのを子供の時に聞いたことがある。そんな原体験から、英語ができることの意味は他の人よりも強く感じていたように思う。日本語では1億人しかコミュニケーションを取れないが、英語ができれば世界15億人の人たちと繋がれる。新鮮な情報が入ってきて、新しいネットワークを作り上げることができる。英語は学歴以上の価値がある、いつかは世界中の人たちと仕事をしたい——そんな夢をどこかに秘めていた。
その後、慶應義塾大学に入学し、体育会のアメリカンフットボール部を選ぶ。素晴らしい仲間に囲まれ、多くのことを学び、とても充実した日々を過ごしていた。しかし、ふと、慶應や体育会アメフト部という肩書きで企業に就職することが自分にとって意味のあることなのかと疑うようになる。「素の自分」で、どこまで挑戦できるのだろうか? 自分は何を考え、どう行動するのかが重要なのではないか。そんな哲学を頭の中で展開していた1年半。行き着いた先は大学を中退、そしてアメリカへの留学だった。母親は泣いて制止したが、自分の強い意志は変わらなかった。大学2年の夏、渡米。英語は一般的な受験英語レベルだったが、3年半、アメリカの大学に在籍し、就職の時期を迎える。
日本から世界に発信したい、
その願いを叶えるために日本で就職
アメリカでの就職も考えたが、就職は日本の金融機関、大和証券SMBC(現:大和証券)を選ぶ。自分は日本語と英語の二言語を武器に、日本のものを外に発信したいという希望があったからだ。社会人の最初の一歩としての金融業界は良い選択肢だったと今になって思う。日系企業ではあったが、扱うサービスはグローバルそのもの、世界各国の影響を受けながら、日々新しいことにチャレンジする日々。金融は楽しいと心から思えた。M&A業務を2年間担当し、2年後にはモルガン・スタンレー証券株式会社、その2年半後には株式会社ラザード フレールと外資の金融に転職。コーポレート・ファイナンス、M&A、IPOと幅広い業務に携わることができた。しかし仕事の内容が強烈と表現しても良いほどにハード。時には毎日深夜まで働き、土日もプライベートも全くないような毎日を送り、体調を崩してしまう同僚を見ながら、少しずつ将来の自分のあるべき姿はここにはないのではないかと思うようになる。大学時代に感じていた、肩書きなく素の自分でどこまで挑戦できるのかという原点に立ち戻れば、30歳までの独立が歩むべき道であろう。辛く苦しい外資金融勤務の中で、起業のアイデアが浮かんできた。
崖っぷちを幾度も経験した2年間。
自分への自信を頼りに起死回生を目指す
2009年4月、元同僚の中村幸司と共にナシエルホールディングスの前身であるM&A Propertiesを設立、起業した。最初の業務は飲食店に特化した不動産のコンサルティング業務。一見、金融と異なる業種に見えるが、自分たちが長年携わってきたM&Aと飲食店の居抜き仲介は、類似している点がある。1店舗の中にある賃借権、厨房機器、人材などを欲しいという人が希望する価値で売るというところは広義でみるとM&Aそのもの。それまでに得た知見を活かすことができると考えた。また住宅向けの不動産業だと大手企業が競合となりレッドオーシャンであったが、飲食店の居抜き仲介はまだ新しい分野。流行り廃りの激しい、その入れ替えのところにビジネスチャンスがある。そもそも在庫を抱える業種ではないのでビジネスは失敗しようがない、そんなことを考えての起業だったが、読みが甘かった。
2年間、売り上げが取れず、苦しい局面に追い込まれた。毎日、何十社に電話で売り込み営業をするが結果はついてこない。いよいよこの案件が実を結ばなければ、廃業するかというところまで追い込まれた時、初めて不動産仲介ではなくリアルなM&Aの案件が舞い込み、しっかりと結果を出すことで会社が息を吹き返す。大手外食チェーン店の売却という大きな案件だったので、新規雇用をし、いよいよ会社が軌道に乗るかと一筋の光が見たところで、今度は東日本大震災。計画停電の影響で、首都圏の新規出店が半年間ストップ。飲食業界の出店がなければ、自分たちに仕事はない。こんな厳しい局面をいくつも迎え、時に底辺を這いつくばりながらも、なんとか生き延びることができたのは、単に「自分はまだまだやれるはず」という内に秘めた自分への諦めきれない自信だった。廃業するのは簡単だが、そうしてしまえば、これまでの苦労は水の泡だ。このままで終われない、終わるわけにはいかない。そんな意地とも言えるような意志を貫き、今年起業14年目を迎える。自社でも6度のM&Aを行い、出店準備から運営、退店まで店舗事業者への総合支援ができる100名規模の体制に成長した。多くの方に助けられ、今の会社と自分があると感じている。
グローバルへの挑戦
会社の理念は「胸が高鳴る世の中に。」。多くの人の喜びのために働くことが本望だ。飲食店向けのサービスに特化しているが、会社の理念に当てはまることであれば、もっと色々なことにチャレンジしたいと考えている。その「色々なこと」の一つが、海外展開。多くの飲食企業がコロナの影響を受けて苦しんでいる中、ある飲食企業を救ったのは日本国内の外食企業やファンドではなく、アジアのプライベートエクイティーファンドだった。今、コロナウイルス感染拡大や長引く不況で、廃業の危機にある飲食店は大小含めて数多ある。ただ日本飲食企業には世界に誇るコンテンツ、メニュー並びにサービスがある。それらコンテンツやメニューなどに価値を見出してくれる海外外食企業や海外ファンドがいるのではないかと考えている。海外外食企業や海外ファンドと協力することでその日本企業の海外展開が加速する可能性が広がるのではないかという視点に立っている。そこにはM&AのみならずJVでの展開であったりFCでの展開であったりと多くの提案ができると考えている。その他海外で働きたいというシェフも応援したいと思うし、海外のブランドが日本に来て日本の食文化が更に活性化することも考えられる。日本の外食産業がもつ業態やブランドといった「コンテンツ」を輸出することは日本の文化の発信に等しいと。この案件がきかっけとなり、マーケットをグローバルに見出すことを決意した。
Aun Communicationからの学びと気づき、そして成長
日本食の文化を高く評価してくれる国として、まずシンガポールで感触を得ることにした。ところが自分はシンガポールに1度しか行ったことがなく、その文化的な背景やビジネスの繋がりがほとんどない。そこでシンガポールでMBAを取得し、海外事業に携わるビジネスパーソンを支援しているAun Communicationの八木さんに相談を持ちかけた。最初は日本語のプレゼン資料の翻訳と英会話の指導を依頼するつもりだったが、相談をする中で海外には海外向けのプレゼン資料が必要だと感じるようになり、外国人向けのプレゼン資料再構築と相手の心に刺さる英語プレゼンのコーチングを依頼することを決めた。
自分の中では、飲食店M&Aの知識では負けないし、プレゼン資料の完成度にも自信があったが、異文化環境でのビジネス経験豊富なAun Communicationのエミリーさんとのセッションを重ねる中で、外国人がどういう視点で日本食文化を理解しているのか、また彼らにはどういうアプローチでプレゼンをし、何を伝えればよいのか、といった自分の枠を超えたアイデアをもらうことができた。外国人へのプレゼンはスライドの構成ひとつとっても、日本人向けとまったく違う。アドバイスを受けながらスライドをグローバル仕様にすることで、今回の商談相手の琴線に触れるような構成、内容に仕上げることができたのは多いに意味があったように思う。
また英語でのコーチング・セッションも実践的だった。要点を明快にストレートに表現しながらも、相手にリスペクトの気持ちを込められるような英語の言い回しや表現などは自分だけでは改善できなかった点だ。エミリーさんとのセッションで伝えきれなかった細かなニュアンスは、八木さんに日本語で伝え、次回のセッションまでにエミリーさんと共有してもらうことで齟齬なく意思疎通が図れた。
アメリカに留学したのは20年も前のことで、最初は口からすんなりと英語が出てこなかったが、セッションを重ねる中で、自信を持って英語でコミュニケーションを取れるようになった。この「自信」が現地でのプレゼンを成功に導く大きな鍵だったと分析している。この短期間でのビジネスに特化したブラッシュアップは他の会社では無理だっただろう。
胸が高鳴る挑戦は続く
シンガポールのプレゼンはとても楽しいものだった。日本と違い、相手がどんなことを言ってくるか読めない。だからこちらも相手に集中して、脳をフル回転して懸命に答える。これは自分にとってワクワク感そのものであり、すでに長い経験を積んできた日本マーケットでは得られない新鮮な感覚。こんな痺れる体験ができたのもAun Communicationの伴走があったから。彼らがいなければ「シンガポールって、やっぱり難しいよね」とお茶を濁す形で終わっていた可能性もあっただろう。
シンガポール出張を終えて、まだ数週間しかたっていないが、自分の中に芽生えた自信はまだまだ継続しており、この大きな成果をもって、他の国にもどんどん進出していきたいという熱意が湧いている。世界は広い。小さい時に夢に描いていた、「15億人とネットワークを築く」という夢に自分のビジネスが加わることで、更に胸が高鳴る挑戦ができそうだ。
【文】黒田順子
その他のビジョナリーズ・グローバルジャーニー
奥野祐次(オクノクリニック総院長)
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(お知らせ)
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