“Global Leader Story“ vol.4 萱場玄

シンガポールの会計事務所 CPAコンシェルジュ 代表

 日本で生まれ育ちながらも、グローバルな仕事環境で大活躍するリーダーのストーリーを発信する「グローバルリーダー・ストーリー」。

 4回目のグローバルリーダーは、シンガポールの会計事務所CPAコンシェルジュ社の創業社長である萱場玄氏。福岡県福岡市生まれ。大学卒業直後に公認会計士試験に合格し、新日本監査法人に入所。監査法人を4年で退所し、ニューヨークへ語学留学。日本帰国後は、東京共同会計事務所に入所して海外案件を数多く担当。2012年、家族でシンガポールに移住し、オランダの会計事務所でジャパンデスク責任者を経て、2014年にCPAコンシェルジュを創業。シンガポールの日本人起業家や企業リーダーのコミュニティであるシンガポール和僑会の元会長。これまでに約500件のシンガポール案件を対応してきたシンガポールの専門家。

 シンガポールで起業をし、ローカルスタッフを雇用しながら、日系企業のサポートを続けて8年。グローバル企業経営の第一線で活躍する萱場氏の半生とそこから得た学びを伺った。

パチンコ、会計士試験、英語、起業、経営
方向性は違っても、いつも全力を出し尽くす

 「目標に向かって全力を出し尽くす」——自分の強みを一言で表すのであれば、こう表現するのがもっともピタリと当てはまる。親の教育とか、誰かに影響を受けたとか、そういったことではなく、持って生まれた性格によるものなのだと思う。自分のグローバルジャーニーを振り返ってみても、その場その場で最大のパフォーマンスを出すように取り組んできた結果が現在につながっている。

 堂々と自慢できることでもないが、学生時代にはアルバイトの代わりとしてパチンコに熱中した。朝から晩までパチンコをし、一般的な学生アルバイトよりはるかに稼いでいた。その目標が「稼ぐ」から「学ぶ」に移ったのが大学2年の時。国語1科目という特殊な受験方式で入学した大学だったが「このまま勉強もしないままにパチンコに明け暮れる生活をしていて良いのだろうか?」と、ふと卒業した後のことが不安になった。そこで奮起して公認会計士を目指すこととなる。パチンコと会計士の受験勉強では真逆のイメージだが、自分にとって全力で頑張るという意味では同じベクトルなのであまり違和感がなかった。

 猛勉強の甲斐あって、大学を卒業した年に公認会計士の試験に合格。特に希望していたわけでもなかったが、ご縁があり監査法人で国際部の配属となった。海外案件がたくさん降ってくる中で、必要に迫られて始めた英語の勉強。大学受験で英語を勉強したことがなかったので、『中学英語を2週間で復習する』というような参考書を買ってきてゼロから学び直し。ここでも全力で英語の勉強に身を捧げた。

 

2年間分の生活費を握って退職。
語学留学から英語を武器に会計士として再就職

 ところが3年半ほど経ったところで突然に監査法人を退職してアメリカへ語学留学することとなる。国際的ビジネスのことをもっと知るには英語が必要だと感じたこと、そして監査法人に勤務した3年半の間に2年間くらい無職でいられるだけのまとまった貯金ができていたこともアメリカ行きを後押しした。最初の1年間は実家に篭って英語の勉強を積み重ね、そこから8ヶ月間ニューヨークで過ごす。当初の計画では、そのままアメリカで就職をし、当時交際していた彼女(現在の妻)を呼び寄せるつもりだったが、アメリカの就労ビザを申請するタイミングを逸してしまったし、結婚を約束した彼女を1年以上待たせるわけにもいかないので、アメリカには縁がなかったものとしてスッパリと諦めて日本に帰国した。

 たった8ヶ月の語学留学ではあったが、海外に友達もできたし、英語を使って国際的なビジネスに携わりたいという意志がより一層強くなった。当時はまだ英語ができる会計士も税理士もさほど多くなく、英語 × 会計士 × 国際税務という組み合わせは強みになりうると感じていた。ただ、国際税務の経験が自分には全くない。そこで、その分野で既に名の通っていた東京共同会計事務所に入所。誰もやりたくない英語での業務に積極的に手を挙げ、とにかく仕事をしながら英語力と国際税務を磨いた。監査法人時代は、職場の先輩たちが海外駐在に旅立つのを見ながら、いつしか自分もと願うものの、監査法人で海外駐在するには少なくとも8年から10年は勤務しなければならない。東京共同会計事務所にも海外提携事務所があるものの、どうやら海外駐在という道はしばらくなさそうだ。どうにかして海外で働く近道はないかとアンテナを張り巡らしていたところ、東日本大震災が日本を襲う。家族のこと、日本経済のこと、いろいろなことを考えて、日本を出るなら「今しかない」と海外転職を実行した。

  

家族と自分の幸せを最大化できる場所
それがシンガポールを選んだ理由

 働く場所として選んだのは日本から比較的近く、時差もないアジアだった。そのアジアの中でも、経済発展が著しく、国自体に活気があり、そして最も親日といわれるベトナムを選び、数社から内定を得ることもできた。ところが最終面接と視察をかねて家族でホーチミンを訪れたところ、そこには様々な困難があることに気がついた。一番のネックはベトナム語。親である自分たちは英語だけで生きていくことができるかもしれないが、子どもはインターナショナルスクールに入れたとしても日常生活で少しはベトナム語が必須だろう。しかし日本人である我が子がベトナム語を学ぶ、これにどこまで将来性が期待できるだろうか、と悩む。最終的には子どもの将来を考えてベトナムでのオファーは断った。家族と自分の幸せを最大化でき、充実した仕事人生を送れる場所としてシンガポールに注目し、知人の紹介でTMFというオランダの会計事務所のシンガポール支社に転職した。

 TMFで決定権を持って働く日本人は自分ただ一人。会計事務所での勤務ではあるものの、主な仕事は日系企業への営業で、いわゆる専門職から営業職へのジョブチェンジだ。希望に満ち溢れてシンガポールに渡り、ゼロから日系企業向けの営業を開始したものの、1年ほど経ったところで、TMFでの自分の役割は、自分の理想とは少し違うことに気がついた。上司に掛け合って「ジャパンクライアントには、欧州系クライアントと違うサービスへのニーズがある。今のサービスではジャパンクライアントに合わないので、もっとここをこうして欲しい。誰もやらないなら私がそこをやります。」と何度も訴えたが、「あなたの役割は営業であって、サービスデリバリーやクオリティーコントロールはあなたの仕事ではない」と断られることの繰り返し。TMFでは良かれ悪かれ各自の役割が明確で、自分の役割以外の仕事に関与することは許されない。自分自身が納得のいく形で日本人・日系企業特有の文化、商習慣に合うようにサービス設計、仕組み、価格設計をしたくてもできない。とてもストレスの溜まる日々だった。しかしここはシンガポールの欧州系企業、おそらく結果が出ないと自分の居場所も無くなるだろう。いつかクビを宣告されて日本に帰らなければならなくなる日もくるかもしれない。でもちょっと待てよ、ある意味、TMFの萱場、というより、萱場がいるTMF、というように個人でもっと認知度を高めればよいのではないか。売上を出せればそれでよいし、もしクビになっても自分自身が世間に認められていれば、拾ってくれる会社もあるかもしれない。そう思って、とにかく日本人・日系企業の役に立ちそうな情報を発信する方向に舵を切った。シンガポールで起業をする人、移住したい人、シンガポール進出したい日系企業など、シンガポール進出に関する様々な情報をSNSやウェブサイトに掲載したり、近隣諸国に出張する用事を作って小さな漁船の上で現地の税制を説明する動画をYouTubeで発信してみたり。積極的に発信していくうちに、自分の目指す方向がよりクリアに見えてくるようになり、もうこれは自分でやるしかない、ということで2014年2月頃にシンガポールでの独立を決意した。

ブルネイの漁船の上からYoutube配信の図

ブルネイの漁船の上からYoutube配信の図

独立して背負った責任の重さ
「髭面に短パン半袖」からの卒業

 独立と同時に手に入れた自由。なんでも自分の好きなようにできるのが楽しかった。オフィスは自宅。朝も昼も夜も家族と一緒に家で食事ができる。会計事務所ではご法度の、でも長年憧れていた髭も生やしてみた。ビジネスシーンでもスーツは着用せず、1年中、半袖短パン姿。日本から政府の要人がいらっしゃった時の食事会でも髭面に半袖短パン。それが自分流であり、貫き通すことがカッコいいと思っていた。しかし、それは仕事上では大きく不都合があることに気がつかされる局面が訪れる。

独立直後の自宅兼オフィス

 とある大企業がシンガポール進出を検討しているという案件があった。大企業の案件は是が非でも受注したいところ。その大企業もご多分に漏れず日系会計事務所を探しており、相見積もりをとるために複数の日系会計事務所にアプローチしていた。そんな中、自分(の事務所)が業者選定の候補先から外されているということを近い友人経由で知る。原因を聞いたところ、自分の見た目やキャラクター、ホームページのギラギラ感などが信用に足りないとのこと。なるほど。でも、そういった大企業界隈からの冷ややかな視線は薄々感じていたし、そんな自分でも実力を見込んで依頼してくれる、そんな企業・人だけクライアントにすればよい。そもそも自分らしく生きるために独立したわけであって、そんな大企業好みの真面目そうな業者に成り下がる気はさらさらない。どうぞご自由に業者候補から外してください、というのが正直な感想だった。しかしちょうど同じ頃、自分自身のビザの許可がなかなかおりず、ビザ申請の条件としてシンガポール人を雇わなければならなくなった。自分の稼ぎだけではなく、スタッフの給料も稼がなければならないという、経営者の第一歩を歩き出したところで、自分が今やるべきことは、自分流にこだわることよりも、お客さまの信頼を得て、確実に売上げを立てて、社員と社員の家族を養っていくこと。髭を剃り、スーツを身に纏い、気持ちを入れ替えることにした。

家族的な人間関係を重視して
グローバル組織をまとめる理由

 日本とシンガポール。距離は近いけれど、全く異なる世界であることを経営しながら実感する。例えば、日本人は時間に正確だが、シンガポール人の社員の中には遅刻するだけならまだしも、勝手に就業時間を早めて帰る者もいる(今の弊社にはいないが)。お互いに埋められないカルチャーギャップがあるのだが、それでもなぜシンガポール人を雇い、外注スタッフメインの「タスク型」ではなく、社員を雇用する「メンバーシップ型」にこだわるのか。それは「コミュニティ」を築き上げ、気持ちよく幸せに働ける職場を社員一人一人に提供し、会社を互いに成長する場にしたいと考えているからだと思う。CPAコンシェルジュでは日本人もシンガポール人も隔たりなく家族的な組織を意識して作っている。朝会もあるし、飲み会やスポーツ大会、バーベキューも会社のイベントとして執り行う。ただし、世の中の人が皆、そういった家族的な人間関係を会社に求めるわけではないので、入社時には会社の文化をきちんと説明した上で、「そういう文化で大丈夫か?」と尋ねることにしている。カルチャーフィットを人事評価での指標にし、経営上もとても大切にしている。

グローバルで働く時に心がけることの多くは
日本で働く時にも必ず役に立つ

 グローバルで働く時に心がけるべきことは、何もグローバルに限ったことではなく、日本でも十分に通用することだと考えている。

 まず一番重要なことは、考えて生きること。例えば英語の勉強をするのであれば、自分にはビジネス英語と日常会話とどちらが必要なのか、どうやったら最短で成果を出せるか、耳で聞く勉強法が向いているのか、参考書で学ぶ勉強法が向いているのか——そうやって自己分析をすることが大事。自分はこれまで、オンラインサロンを6年前から始めたり、Club Houseという一大ブームになった音声SNSもいち早く取り入れたりと、なるべく時流に乗るべく走ってきたが、何も考えず、ただ闇雲に始めたのではない。何をしたら社会に役に立つサービスなのか、どうやったら労力を抑えながらも良いコンテンツをアップデートし続けることができるか、今の投下時間の積み重ねが将来どれぐらいの期間どれぐらいの見返りがあって、それをやることが長期的に純額でプラスなのかマイナスなのか、自分なりのオリジナリティをどう発揮するかなど考えて行動してきた。「生きることは考えること」と言っても過言ではない。考える癖をつければ、パチンコでも勝ち続けられるし、20代中盤からでも英語力を伸ばすこともできるし、最短で公認会計士試験に受かることもできる。

 二つ目は自分を統制し、己に勝つこと。継続的努力は自分に勝つことでしか得られない、と信じている。忙しい日々の中で取り組む英語の勉強もオンラインサロンの投稿もいかにルーチン化して継続し続けるかが肝。「生きることは考えること」にも繋がるが、頭でよく考えて、継続を脅かすような自分の弱みを把握し、自ら対策を講じる。継続的努力のための仕組みを作ることが大事。

 三つ目は、なんだかんだ言っても英語力。笑って誤魔化す、ローカルスタッフに指示が出せないから結局、自分で抱え込んでしまうという、海外で働く日本人によく見られるパターンも英語力不足が理由。私も英語で交渉すると戦闘能力は30%くらいに減ってしまうが、その場の雰囲気や相手の表情、喋り方から「何が最も重要なのか」を理解できることがほとんどなので、困ることはあまりない。おそらく英語の環境に徹底的に慣れることで、そのテクニックを得ることができたのだと思う。特に仕事モードがオンの時にはできる限り多くの人たちと積極的にコミュニュケーションをとることにしている。英語の環境にどっぷりと浸かりインプットを深めることで、「わかりやすく話す能力」もだいぶ向上したと感じている。

  【文】黒田順子

Aun Communication のコメント:

 シンガポールで起業した萱場氏。言語、文化、法律等、日本とは全てが異なる中で会社を経営し続けるのは、並大抵のことではない。萱場氏の元来の性格もあるかもしれないが、海外で起業してから、より深く「考えて生きる」ようになったのではないだろうか。

 海外では、前例や正解がない中での意思決定が求められるケースが多く、自らアクションを起こさないと情報すら入ってこない。自ら考えて動くことが何より重要で、起業家だけではなく、海外駐在員にとっても、強い起業家精神やパイオニア・スピリットを持つことが肝要だと思う。


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