“Global Leader Story“ vol.15 原田均

シリコンバレー発のスタートアップ Alpaca DB, Inc. 共同創業者兼CPO

 日本で生まれ育ちながらも、グローバルな仕事環境で大活躍するリーダーの軌跡とマインドを発信するグローバルリーダー・ストーリー。

 15回目のグローバルリーダーは、シリコンバレー発のスタートアップAlpacaDB, Inc.共同創業者兼CPO(Chief Product Officer)の原田均氏。千葉県生まれ埼玉県育ち。2005年、慶應義塾大学卒業。東京のスタートアップでCTOを務めたのち、2011年にシリコンバレーのスタートアップに海外転職。2015年に大学時代の友人とアルパカを米国で共同創業。事業をピボットしながら今はフィンテック企業として注目を集め、2018年に米国で証券会社ライセンスを取得し、取引手数料無料のAPI接続特化の証券サービスをリリース。シードアクセラレータの名門として有名なY Combinatorに採択されW19バッチを修了、これまでの資金調達額は累計で1億米ドル(現在の為替レートで約150億円)以上。(2023年12月時点)


 中学生の時、Windows95が搭載されたパソコンが自宅にやってきた。そのパソコンに触れるところから、自分のエンジニアとしてのキャリアが始まっていたのかもしれない。とはいえ家族に理系の人間がいたわけでもなく、中高生の時にはエンジニアの道に進もうと考えたことはなかった。ラグビーに熱中した慶應義塾志木高等学校を卒業し、大学の学部を決める時、華やかな雰囲気のある日吉や三田で学ぶイメージがどうも自分になじまず、新しいことにチャンレンジできる環境が欲しいという期待から、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の学部を選んだ。AO入試に力を入れているキャンパスということもあり、小学生からプログラミングを書いていたようなユニークな友だちに囲まれ、「なんだ、こいつら?」というカルチャーショックを入学早々に受ける。彼らから大きな刺激を受けて、コードを書き始めたこともあり、大学時代は小さなテック系の企業でインターンを始めた。またリュック1つ背負って南米を中心に35カ国を渡り歩くバックパッキングにも夢中になった。学校内での学びよりも課外の活動に積極的に取り組んだ大学時代だった。

 卒業後は大手企業の就職も考えたが、自分は大企業向きの人間ではないと早々に判断し、流体シュミレーションのソフトウェアを販売する企業に就職。しかし、営業職が合わず10ヶ月で転職。気持ちを改め、腕一本のエンジニアで生きる覚悟を決め、インターンをしていた企業に戻ることにした。

 転職した会社は、当時社員数5人程度という小規模な組織だったために、早々に技術部長を任され、翌年には雇われではあったもののCTO(Chief Technology Officer)に昇進。ピカピカの「スタートアップ」と呼べる企業ではなかったが、19歳も年齢が上の外資の投資銀行出身の人たちと机を並べて仕事をする。ビジネスの基本はここで学ばせてもらった。人の二倍速でキャリアを積みたいと願っていたから、人の二倍働くことに抵抗はなかった。若さならではの枯れることのないエネルギーを糧に仕事に没頭。体力的には辛かったが、苦労を感じた記憶はない。この5年間で会社は社員数が40人まで成長した。スタートアップの成長過程を体験したことは、その後の人生に大きなインパクトを与えたと思う。

いつかは海外で働きたい、
夢を現実にするために積極的に発信

 多様性のあるSFCで学び、バックパッカーの経験もあったので、いつかは海外で働きたいという気持ちがあった。実際に日本を飛び出すチャンスを狙い始めたのは、25歳を過ぎた頃から。毎日、膨大な量の仕事をこなしていたが、その合間にエンジニアとしてオープンソースのデータベースにコードを書き、それを発信。Web2.0の流れに乗りながら、海外で働く可能性を模索し続ける中で、次第に自分の名前が認知されるようになっていった。カンファレンスでのゲストスピーカーを依頼されるようになれば、喜んで請け負うというような独自の活動を重ねていくことで、自分の活躍の場が会社の外に少しづつ広がりを見せ始める。そんな時にLinkedIn経由で、仕事のオファーが来る。48時間トンボ帰りという強硬スケジュールでシリコンバレーに飛び、アメリカのテック企業とインタビュー。話はとんとん拍子に進み、アメリカで仕事をすることが決まった。その決定打はエンジニアとしての実力。オープンソースでの活動を通し、自分がデータベースのエンジンに関しては奥の奥まで知っていることが証明された。英語での面接は半分も理解できなかったけれど、そこの分野に関して「抜きに出てできる人」であると理解されたようだ。

アメリカのスタートアップに転職
シリコンバレーで働く意義

 アメリカでの仕事は、毎日新しい発見の連続で、刺激的だった。日本にいる時から、シリコンバレーにはなぜGoogleやAppleのような会社ができるのかという点に興味があったが、シリコンバレーで仕事を始めて、すぐにその理由がわかった。日本の企業は95%から99%にする仕事がほとんど。しかし、シリコンバレーの多くは「ゼロイチ」の企業で、「どうやって0を80にするか」にフォーカスをする。オールラウンドで優等生になろうとするのが日本のスタイルとするのであれば、「何かがひとつ尖っていれば良い」というのがシリコンバレーのスタイル。日本とは真逆で、自分が何で輝くのかはっきり言えないと生きていけない。その何かは企業によって違うのだが、就職したスタートアップは「ビッグデータを早く処理できるエンジンを作る」ことが求められたので、何を差し置いても処理速度にフォーカスが当てられた。だから処理速度が速ければ、速いほど輝ける。ところが処理速度にフォーカスするあまり、データベースのくせにデータが壊れたり、紛失したりする。データベースを扱う企業としては「あるまじき結果」なのだけど、その勢いでエグジットまで辿り着ける。

 こういうスタイルは、おそらく日本では通用しないだろう。「何かひとつ」にこだわれば、企業に所属しにくくなるだけでなく、お客さまや世間も許さない。出る杭を打つのが日本、出る杭をどんどん伸ばすのがシリコンバレーだとするならば、自分は圧倒的に後者に居心地の良さを感じた。

 これは日本が嫌いということを意味するのではない。ただ自分にフィットするのは0→80のシリコンバレースタイルだということ。良い、悪いの判断ではなく、単純に好みの違いだと理解してもらえれば嬉しい。では、どちらのスタイルのほうが世界を変えられるチャンスが大きいかといえば、圧倒的に0→80のスタイルだろう。会社に所属しがらイノベーションを起こせることにワクワクしていたし、それが好きだと感じた4年間だった。

シリコンバレーの教科書的には
「アウト」な起業を経験

 渡米した時には5年後の起業、またはアーリーステージの会社への転職という漠然としたイメージを抱いていた。「狭い世界で良いから世界で一番になったほうがいい」という心に刻まれた処世訓を思い出し、エンジニアとして世界の頂点を目指せるシリコンバレーにこだわった。

 大学時代からバックパックを共にし、いろいろな夢を語っていた日本の友だちにも、シリコンバレーでの起業を提案し続けた。最初から彼らと自分が同じマインドを持っていたわけではないが、自分が「やるなら世界のトップを目指そう。そのためには絶対にシリコンバレーで起業するんだ」としつこく情熱を語り続けるものだから、仲間もしまいには納得してくれた。

 シリコンバレーでは、たくさんの起業を目にしていたので、退職から起業の道筋は100%の確信はなかったものの、知識はゼロではなかったし、なんとなくわかっている気がしていた。だが、ここで未熟ゆえのフライングスタートを切ってしまう。「会社を始めたい」という思いが先に立って、とりあえず起業してしまったのだ。本来であれば、どういう問題が世の中にあって、何をどうやって解決するのか、というところから起業はスタートしなくてはならないのに、最初に会社を作ってしまうという大失態。後から考えればよく知られたところだが、スタートアップの教科書的にはアウトの起業スタイルだ。このように何もわかっていない状態で起業したものだから、ビジネス的には盛り上がることなく、大した成果もない3年が過ぎ去った。何をやるべきか、指針が見出せず、会社の事業内容も二転三転。そんな未熟な状況だったが、VC(ベンチャーキャピタル)の人たちは皆優しく、だいぶ助けてもらった。起業した仲間は誰一人、アメリカの大学を出ておらず、アメリカで起業する時に頼りになる大学のネットワークがない。一見、かなり不利と思える状況ではあったものの、中国系、ロシア系などの移民ネットワークを使うことができた。移民の多いアメリカらしい懐の広さとでも言ったら良いのだろうか。日本人であることをディスアドバンテージだと感じることはなかった。

会社の成長と資金調達
自分をものすごくシンプルに語る重要さ

 2018年、アメリカではフィンテックが台頭してきた頃で、株取引のアプリ「ロビンフッド」など、モダンなモバイルファーストの資産運用アプリが次々とローンチされた。これはすごいことだった。アルパカもITビジネスを展開していたので、ロビンフッドとまったく関係のない分野の話ではなかったが、自ら金融会社を運営するなんて自分たちには到底無理だと他人事のように見ていた。しかし金融関係でアプリを開発するなら自ら金融ライセンスを取らないとビジネスにならない現実が次第にわかってきた。そこで2018年に思い切って、アメリカで金融ビジネスに必要なライセンス取得のための手続きをすすめる。日本人がアメリカの金融監督機関から正式な許可を得て、アメリカで証券会社をゼロから立ち上げたのは、アルパカが初めてだと思う。

 現在までに累計で1億米ドル(2023年12月時点の為替レートで約150億円)以上の資金を調達。資金調達はCEOの横川がリード、大事なピッチには自分も参加し、投資家に対して会社だけでなく、自分自身も売り込み続けた。箸にも棒にもひっかからないことは幾度もあったが、異なるバックグランドを持つ人たちの前で、最も大事にしたのは「自分も会社もすごくシンプルに語る」という点。世界で最も有名だと言われるインキュベーターのY Combinatorでは、会社のやっていることを小見出し1本で宣伝しろと叩き込まれたので、考え抜いた結果、「Commission-free Stock Trading API」と表現した。ブローカーだと言っても誰も分からない。ライセンスを取った証券会社だと言ったって誰も気にしない。一番伝えたいことは「API」、そしてバズワードは「コミンションフリー」だったので、この究極に削ぎ落とした2単語を使って自社のことをシンプルに伝えて投資を募った。

明示的なコミュニケーションが
グローバルな社員をとりまとめる知恵

 ごまんとあるIT企業はどこも優秀な人材を探し求めている。アルパカは日本人の起業した会社ではあるが、例外なく人材はグローバルで採用。コロナを契機にフルリモートにしたので、アメリカ人、インド人、エジプト人、トルコ人など、前にも増して多国籍の社員が20カ国以上から集まり、現在の社員数は100名を超える規模となった。フルリモートにしたことで、社員のエンゲージメントを維持するには苦労することもあるが、その効率の良さや、異なるバックグラウンドを持ち込めることから見るとポテンシャルは計り知れないと思う。ビジネスチャットツールのSlackを使うことで、オフィスではなかなか難しい「社員間の個別の会話」に入ることができるので視野も広がる。もちろん、フルリモートでも最大限のパフォーマンスを出すために、経営者としてコミュニケーション向上のための努力は怠らない。自分の思いや考えを「明示的な発信」を通して行っている。明示的な発信とは、ビデオメッセージを使ったり、社員が知っているだろうという情報を、知らない前提で発信すること。働く場所もタイムゾーンもバラバラなので、文章で発信することが大事だ。また、社員への期待値や達成ゴールも明確にしないといけない。会ったことのない社員もたくさん存在するが、最初の達成ゴールさえ設定すれば、オンラインのコミュニュケーションだけでチームが成り立つことは実証済みだ。


これから先のアルパカ
シリコンバレーから次のステップ

 20代後半からシリコンバレーに身を置いてきたのは、たまたまシリコンバレーがテックスタートアップのワールドカップの会場だったから。「世の中に大きなインパクトを残したい」という夢を叶えるのには、最高の舞台が整っていた。多種多様な人たち、そして彼らの人間的な幅の広さ。彼らから刺激を受けながら自分もだいぶ大人になった。日本にいたら、まるで違う40代の自分だったであろう。

 日本を出て、手探りながら海外で就職、起業をしてきたが、苦労したという実感はない。ただ自分の目指す姿を既成概念にとらわれることなく追い求めてきた結果だと思っている。それはこれからも変わらない。シリコンバレーが最終到達点だとも思っていない。

 側からみたら、一定の成果を出したように見えるかもしれないが、アルパカはまだまだ成長過程で、自分自身も成すべきことがたくさんある。これから先も世界に大きなインパクトを与えていきたい。もしかしたら、その活動の一部が自分が生まれ育った日本と繋がるかもしれないと思っている。日本のための何かを貢献できたら幸せなことだ。

【文】黒田順子(2023年12月執筆)


Aun Communication のコメント:

 10年以上、シリコンバレーのど真ん中で勝負している原田氏。「専門性」を持つことがいかに重要かが分かるストーリーだ。また、側から見ると、シリコンバレーで奮闘する(純ドメ)日本人はマイノリティーで、大変なことが多いのではないかと想像してしまうが、その状況を不利だとは思わないとハッキリ言えるところに原田氏の「心の強さ」を感じる。日本とグローバルを線引きせず、分け隔てなく考える原田氏は、真のグローバルリーダーの一人だと思う。


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